8月 日記

芙蓉

 8月の花に芙蓉を選びました。枚岡公園へ行く道すがら可憐な花が小川沿いの崖の淵に咲いていました。ピンクの大きめの花をつけムクゲやハイビスカスと同じアオイ科の仲間です。

 この花を小説『風の盆恋歌』で知って、すっかりファンになりました。夏にあって、いかにも涼しげで哀愁を漂わせています。

 ITで調べますと、昔から美しい人のたとえに用いられている花で、 美しくしとやかな顔立ちのことを 「芙蓉の顔」というそうです。
 「反橋(そりばし)の 小さく見ゆる 芙蓉かな」
 (夏目漱石 )

●8月30日、31日休刊
 次回の日記は9月からです。

●8月29日(水)70歳のロマン

 
サラリーマン(とは言っても、ユアサコーポレーションの代表取締役専務)を卒業した70歳の時、44年間、温めていた夢を実現された村田和夫氏の講演を聞きました。和歌山からサンフランシスコまでヨットの単独無寄港航海に成功されました。

 すばらしいの一言です。本人は生死の帰還は五分五分と思ったそうです。家族に話すと、娘さんは泣いたそうですが、「いつかは、別れることになる。そのことを意識させたことがよかった」と、話されました。よく、がんで長年、病院生活してなくなった場合など、葬儀で悲しみの表情は見られますが、本心から悲しんでいないように思うので、仮に冒険で命を落として別れることになれば、本当の涙が流れるとも言われました。

 「ヨットに積み込む無線機など装備は日本政府の認可したものでないと、使えません。外国製品にいくらいいものが安く買えても、許可されないのです。こういうところにも業者と政治家の癒着があると思います。これは日本の旧態依然とした構造で、あらゆるところに見受けられるのです」

 今回の航海は人生を見つめ直すきっかけになればという思いがあったそうです。
 「孤独について考えました。孤独にも無視される孤独、嫌われる孤独、悲しい孤独そして、宇宙ー生命に対する孤独があります。最近の子どもたちのいじめ問題は無視される孤独で、これは死に追いやる心配があるのです」
 「自由と不自由」、「幸せと不幸せ」も同じで、上を見たらきりがない、結局、自分の心の問題ですと話されました。
 私は「ヨットに乗る人は船酔いをしないのですか?」と、質問しました。「堀江さんはものすごく船酔いをしたそうですが、私はしませんでした。一応、ブランデーを持参しましたが、一滴も飲みませんでした。ほとんど横になっていました。立つと揺れが大きく酔いやすいと思います」と、答えてくれました。

 日本一周の旅
 8月の日記はこれが最後です。30日から日本一周の船旅に出ます。来年の地球一周の船旅(ピースボート)の予行演習のつもりです。これでくたばるようだったら、地球一周は無理だと思います。

 今回は、神戸ー釧路ー白神山地ー福江(五島列島)−屋久島ー神戸のルートです。屋久島のトレッキングが含まれていましたので、行くことにしました。今夏、屋久島へ行くことで資料集めをしましたが、大半は空路で行くパック旅行ばかりで、列車で行くには、オプションで現地案内人ツアーに参加するしかありませんでした。

 屋久島に初めて行くには、ガイドが必要とあります。これを自分流のツアーにしますと、結構、割高になります。今回、大型船による日本一周の旅にしましたのは、少し予算オーバーになりましたが、そういうことからです。帰宅後、9月の日記に各地の写真、航海日記を掲載しますので、ぜひご覧になってください。

●8月28日(火)夜中の怪音

 夜中、目を覚ますと、大雨か滝のような水音がした。どうも雨が降っていないようだ。音がする方へ歩いていくと、水洗トイレの水がザーザー流れ、いつまでも止まらないのである。

 とにかくリモコンの電源スイッチを切ってみたが、どうにもならない。すべてのスイッチを押してみるが、同じである。止水スイッチが見当たらない。

 このまま一晩中、流れると水道代が心配である。やがて流れが止まった。ホッとしたが、いまだに、なぜ流れだしたのか、分からない。センサーの誤動作かもしれない。朝、パンフレットを見ると、止水栓の図があった。おそらくこれをコインで閉めればいいのだと思われるが、メーカーの相談室に確認しておくことにした。

 電子機器は便利であるが、逆に不便でもある。自動化はいいのだが、安全対策を万全にしてもらいたいと思う。高齢者には電子機器との付き合い方が難しくなるのを痛感する。

●8月27日(月)安倍第二次内閣

 安倍第二次内閣が発足した。評論家や野党からいろんな見方、意見が語られている。私にとってサプライズは参院選で大敗したので、人心復旧にすることにしたのだが、安倍首相自身が沈んでしまったことだ。

 自分のカラーを消したのは、とにかくこの窮地を乗り切ることに舵を切り替え支持率が回復したら「美しい日本」を再度、やることを願っているように見える。果たして今後、どうなるのか、政局から目を離せない。

●8月26日(日)河内のおはら風の盆

 地元、枚岡神社で夕方6時から「おはら風の盆」が奉納された。長年、富山の八尾(やつお)村のおはら風の盆を見たいと思っている。いまだに、実現していない。

 それが足元の神社で披露されるというので、出かけた。今年で3回目で、これまでは練習不足もあって十分、満足できるものでなかったそうだ。これは地元の愛好家が結成して披露しているものである。

 神社の石畳の沿道にロウソク、提灯を並べ、八尾村の雰囲気を演出、男女の踊り方は列をなして鳥居に向って約50mを静かにくだった。沿道には途切れなく人で埋まり、多くのカメラマンがシャッターをきっていた。

 この後は、河内音頭などが披露され、熱い夏も終わりを告げようとしていた。

●8月25日(土)日本一の夜景

 ネイチャークラブ主催の「夕日と共にナイトハイク」に参加した。本来、この会は生駒の自然界観察が目的で活動している。この日も虫の音を聞くということである。

 夜のハイキングは珍しく、昨日の夕日はこれまでの最高であっただけに、山の上から見る夕日を撮りたいと思っていた。今回、一番、眺望のきく見晴らし台に行く予定が、トイレの焼失で立ち入り禁止になっているので、コースを変更、額田展望台に登った。

 いつも散歩しているのでコースは熟知しているが、夜、登るのは初めてである。午後5時に枚岡神社を出発、6時過ぎには到着。山の上で弁当を食べながら、六甲の向こうに沈む太陽、そして赤く染める空を見て楽しい一時を過ごした。

 夕日はいまいちだったが、大阪平野の夜景とそれを見る参加者のシルエットはすばらしい写真となった。肉眼で通天閣、WTCのビルなども見える。この日は世界陸上が始まったので、長居競技場がひときわ明るく照明されていた。

 「ここは日本一の夜景です。六甲から見る神戸の夜景を自慢する友人を連れてきたら、負けたといっていました。香港の夜景?、神戸と同じで奥行きが狭いです。函館も規模が小さいです。」
 スタッフの一人が見晴らし台から見た俯瞰図をみんなに配りながら説明してくれた。

 改めて、すばらしい夜景を思った。「満月に近い月明かりより、大阪のネオンや電灯の光が明るく山を照らしていますので、夜でも懐中電灯なしで登れるのです。五感を働かして歩いた方がいいのです」と、リーダーは話す。


●8月24日(金)世の中なめたらあかん

 久しぶりに滋賀に仕事で出かけた。ある中小企業の社長を訪ねた。サラリーマンで勤めていた東京の企業が倒産、公募していた滋賀の企業に再就職。そこは大企業の下請けで、大口得意先が仕事を打ち切ったので、じっとしていたら倒産する危機に直面した。就任して9ヶ月の前社長が先行きがないとと辞めた。

 当時、常務の現社長はオーナーに提案、「それなら貴方が社長になってやったら、どうだ」と、言われ、奮起した。働いただけ報われる企業にしたいと、下請けからの脱出を図ることを考え、自社ブランド製品の開発に取り組み、ようやくメドがついてきたという。

 企業に限らず、経営をガラス張りにして、従業員を公平に査定できれば、強い企業になる。ところが、トップに私利私欲の気持ちがあると、これができない。無私の境地に至らないと、成功できないことは世の常である。

 北海道の「白い恋人」の菓子企業の社長が今回の不祥事について「増収増益でおごっていた」と、反省の弁を述べていたが、それは社長自身の欲がそのまま表面化したのだ。増収増益でおごっていたといえば、他人事、従業員の問題のように聞こえるが、とんでもないことである。

 腹立ち紛れに言えば、横峰某・参議院議員が自分のスキャンダルを認めるニュースを見て「この男の品性の欠落を感じた。政治家になる資格はない。即刻、辞任すべきである」と、思う人が多いに違いあるまい。ゴルフの賭博は誰でもやっていると思っているふしがあるが、ばれたら犯罪である。政治家でありながら自ら認めたのだから確信犯である。

 世の中をなめているように見える。

●8月23日(木)猛暑と商売

 親しい中小企業の社長が毎月、メルマガを送ってくれる。先日の記事に面白い内容があった。ここに紹介したい。

 「これだけ猛暑が続くとビールの出が悪くなってね」創作居酒屋の大将が嘆く。
 「なんで?」
 「熱中症を避けるためにも日中から水気をがぶ飲みするでしょう、既に身体の中に水分が行き渡っているから飲まへんのです」
 「なるほど、暑けりゃ良いというもんでもないんですね」
 気温と商品の売れ行きには、相関がある。

22〜23℃ ビアガーデンの需要が始まる
24℃〜   水着が売れ出す
25℃〜    麦茶やアイスの売上が急激にアップ
27℃〜   ビアガーデンの客足が急激に増加、アイスクリームも売れ出す
28℃〜   蒲焼が売れ出す
29℃〜   かき氷やシャーベットに人気が集まる
30℃〜   エアコンが売れ出す
30数度を超えるとビールの売上が減少に転じる。

気温をあらかじめ予測して、商品の売れ筋を予想するのが「お天気商法」「ウェザーマーチャンダイジング」というらしい。これによると、商品を昇温商品と降温商品に分けて考える。昇温商品は気温が上がるほど売れる商品、降温商品は気温が下がるほど売れる商品のことだ。
 気温によって、人体の基礎代謝量が変わり、それによってカロリーに対するニーズが変わる。
 一般的には、
    カロリーが低そうに感じられるものが昇温商品-------焼き物、葉もの野菜、和風、辛い味付け
    高そうに感じられるものが降温商品となる----------煮物、揚げ物、根菜類、洋風の味付け

 ビールは気温に敏感な飲み物である、夏の東京ドームでは平均して一試合500mlの生ビールが12,000杯、その他に500mlの缶ビールが25,000本は出る。
 約2000万円くらいの売上である、でっかい。中学生の時がらがらの日生球場でビールの売り子をしていた、そのときと比べれば雲泥の差である。
 ドームの気温は夏28度,冬は18度に保たれ,快適な空間となっている。ちょっと待ってーや、 もしかすればビールの「27℃〜   ビアガーデンの客足が急激に増加」からの算出された温度設定とちゃうのん。
 屋根付でない球場はドーム球場に比べてビールの売上が伸びないであろうという仮説が成り立つ。
 只、基本的には観客の数であるために東京ドームはビールの売れ行きよりもジャイアンツが勝利することと魅力ある選手を育てることが一番である。

 先の見通しが立ちにくく、気候や世間の人気や嗜好に大きく依存した不確定な職業が水商売か。水商売はだから難しい。
 ちょっと待て、一昔前、鉄と仲良くなっていれば食いはぐれがないといわれた。

 今は違う、我々設備メーカも水商売のカテゴリィーに属するようになった。お天気商法を身に付け、仕入れを考えなければならない。型番商品の在庫はすぐに腐る。


●8月22日(水)ウソだろう

 今日はTVで長時間のスポーツ観戦となった。まず、高校野球の決勝戦(広陵ー佐賀北)である。佐賀北は普通の県立高校、一方、広陵は名門の古豪である。試合は明らかに広陵が圧倒していた。4点差になった時に、「もう、決まった」と思って、スイッチを切った。

 再び、スイッチを入れた時、真紅の優勝旗をもって行進している選手が映った。胸に佐賀北とある。一瞬、目を疑った。過去の映像?、そんなことはない。両チームとも決勝進出は初めてであったはず。次の瞬間、「ウソだろう」と心の中で叫んだ。やがて、劇的な逆転劇があったことを知った。

 人生も同じである。幸せに見える人が晩年、不幸になったり、その逆もある。大事なことは苦境をどう乗り切るかである。世の中、すべて相対的な関係にあるわけだから、良くなるときもあれば、悪くなることもある。他人の不幸を知って、「まだ、自分は幸せ」と感じることもあれば、他人の幸福を見て「自分は不幸だ」と思うこともある。このバランスが難しい。

 TVで紹介していたが、佐賀北野球部の窓に「逆境の裏にはそれと同じ幸運の神様がいる」という張り紙を見て、がんばったそうだ。

 続いて、サッカーの国際試合が2試合があり、TV放映された。カメルーンと日本代表の試合は、2−0で勝った。相手は長旅の疲れもあったのだから、手放しで喜べないが、日本チームも一定レベルに達していると感じた。

 さらに北京五輪の出場をかけた最終予選は、格下のヴェトナムと対戦、1−0でかろうじて勝った。試合は日本が圧倒していたが、なかなか得点ができない。この先、不安が残る試合だった。

 スポーツ観戦は楽しい。そしていろいろなことを学べる。


●8月21日(火)老後の貧困

 「映像’07 老後の貧困」を制作したデレクターO氏と一献、傾けた。生活保護を受けている老人が、老齢加算給を厚労省の一方的な通告で廃止され、裁判闘争している。確かに、役人天国のなかで、厚労省の体質はひどすぎる。

 また、夫の遺体を隠し続けた妻の告白、それは葬儀代が払えないことが原因であった。経済大国日本でこうした極貧の生活を強いられている人は全体の1%である。政府はこの数字に無頓着な態度を示している。

 TVを見た人からは、「企業の社宅でも同じようなもので、きちんとした服装で生活しているじゃないか」と、生活保護を受けている人に批判のメールも届いているという。

 確かに、生活保護を受けるに至る人生で、怠惰が原因の人もいるに違いない。「いまですらこの状態ですから、これから貧しい人は増えていきます。憲法で保障されている最低限度の文化生活はどうなりますか。先行き真っ暗闇ですが、どうして国民はもっと怒らないだろうかーと思うそうだ」と話していた。


●8月20日(月)展望台が無残

 毎日、登っている生駒山で無残な出来事があった。山の3分の1あたりに位置する枚岡展望台がある。そこから少し登ったところに「なるかわ園地」がある。ここにはトイレ、飲料水の自販機、屋根付の休憩所に大きな木のテーブルのような台が5つほど並んでいて、座ったままで体を伸ばせる。

 「この向こうの見晴らし台のトイレが燃やされた。ここの自販機のカネを盗んでいたヤツが、故障の張り紙で盗めないことを知り、その腹いせで焼いたのだ」

 休憩所であるシニアが話す。見晴らし台は全長100m以上の木製の歩道が、三角錐の展望台を取り囲んでいて、そこから大阪平野全体を見渡せる、すばらしい眺望のスポットである。「ここで見ていると、いつまでもあきない」という女性がいたが、実際、これほどの場所は生駒山にはないと思うくらいである。

 そこにあるトイレが焼かれ、まったく跡形もない無残な状態をさらけ出していた。トイレの前に掛かる展望台に通じる橋も焼け落ちて、通行禁止になっている。「この橋は昨秋、新しく造られたばかりです」と、この日、訪れた女性が話した。

 自販機のカネが盗めないから焼いたというのは、推測の域を出ないが、すばらしい眺望を見れないのが残念である。こういうことをする人間が生駒山に登っていること事態、面白くない。多くの人から楽しみを奪った。

●8月19日(日)研展

 猛暑のなか、天王寺の市立美術館に東京写真会主催の第92回研展を見に行った。「この展示写真はすばらしい」と、専門家が言ったので、どうしても見ておきたかった。

 確かに、ギャラリーなどで開いている写真と違って、一段上のレベルだと感じた。この主催は東京写真会とあるが、会員は関西、中部、北陸のメンバーも参加している。

 どうして、こうした写真が撮れるのかと思う作品は、いつの場合もある。ある種、マジックのようでもある。多くは定型化したパターンの作品であった。やはり個展でその人の考え、哲学が見えないと、ただ美しいことで終わってしまう。

 物書きでも同じだが、写真でも「なんとしても訴えたいもの」がないと、本当の意味の作品はできない。そういいながらも技術的に一定レベルに達しないと、どうにもならないと思った次第である。

●8月18日(土)デジカメかリバーサルか

 デジカメよりリバーサルフィルム(ポジネガ)で焼いた方が、解像度は良いと、写真屋で言われる。確かに、A4とか4ツ切に引き伸ばす場合に、その差が現われるような気がする。

 ただ、デジカメはいくらでも撮れるが、リバーサルフィルムではそうはいかない。コストがあまりにも違ってくる。1回の撮影で500枚撮ると、リバーサルフィルムでは36枚撮りで14本必要になる。現像費用、焼付け費用を考えると、デジカメが良いに決まっている。

 そのデジカメ(ニコンの場合)でもRAWの画質モードで撮影すると、リバーサルフィルムに近い画質が出るといわれるが、これで撮影すると、ニコンのソフトを使ってJPEGに変換しないと、プリントできない。しかもRAWで撮ると、FINEで1000枚撮れるところ、300枚程度しか撮れない。

 さらにA4,4ツ切、4ツ切ワイドの寸法にうまく合うネガでないと、端が欠けたりする。とくにトリミング注文する場合、寸法合わせが面倒である。写真もはまってくると、かなり面倒なものである。


●8月17日(金)ニューギニア玉砕の島

 太平洋戦争で激戦地となたインドネシア・ビアク島での遺骨の様子を紹介する「ニューギニア戦線 玉砕の島」の写真展が朝日新聞大阪本社1階、アサヒコムホールで開かれている(31日まで)。

 これは知人のYさんが企画したものだと思われるので、ぜひ見たかった。Yさんの兄さんがこの島で戦死、遺骨収集団の一員となって長年の計画を実行したのである。感慨深いものがあったと思われる。

 写真を見る限り、現地は平穏のようだが、民族紛争で治安が悪いと聞いている。それにしても放置されたままの遺骨はまだまだ多いという。戦争の終結はいまだにできない人も少なくない。


●8月16日(木)昭和の歴史

 先にNHKスペシャルで「A級戦犯は何を語ったのか〜東京裁判・尋問調書より」を見たが、さすがにNHKはすばらしい番組をつくると感心した。

 昭和天皇が亡くなって、はじめて踏み込んだ内容ができたのではないかと想像する。非常に分かりやすい作品に仕上がっていた。とくに天皇の責任についてオーストラリアの代表のみは明記したと伝えていた。最終的にはマッカーサー司令長官の判断で天皇の責任は回避された。
 あの時、天皇責任を求めていたら、今の日米関係も変わっていただろう。

 時間の経過のなかで、これからも昭和の歴史が明らかにされていくに違いない。

●8月15日(水)憲法9条

 敗戦の日、NHKは「これからの日本を考えてみませんか?憲法9条」という番組を午後の7時30分〜11時30分まで長時間やっていた。最近のNHKは変わったのかと思うほど、面白い。拍手を送りたい。

 番組では全体的に9条を守るべき人たちが多かったことに安堵した。改正すべき意見の人の多くは、北朝鮮、中国など周辺諸国の動きに対して防備できるようにすべきだという意見であった。いわゆるドロボウ論で、自分の家は自分で守るべきという考えである。

 個人の家でも自分で守ることは難しいが、国全体を守るために武装するとなると、大変な予算をかけなければならない。ただ、現憲法下でも世界第5位の軍備力を持っているのである。また自主性という言葉も気になった。アメリカの従属にならないためにも対等の軍備をすべきというのである。アメリカを陵駕する軍備力はいまの日本では不可能だし、アメリカが許すはずがない。

 逆な立場で考えて見ると、北朝鮮からすると世界一の軍備力をもつアメリカ、その基地のある日本、そして日本の自衛隊がアメリカと共同で北朝鮮周辺で演習しているわけだから、脅威を感じるのは当然だとも言える。だからといって、弾道弾を打つのは言語道断であるが。
 
 アメリカが9条を変えたいと考えている裏には、日本を手先に使いたいという思いがある。小沢代表が、テロ特措法でアメリカに「ノー」と言ったことは、見識である。恐らく条件闘争になるだろうが、やはり自国の考えを言ってこそ独立国としての一歩である。

 経済人がシーレーンを守るために自衛の軍隊を持つべきだというが、日本自ら持てるわけがない。軍事産業に関係している企業経営人は軍備強化が即、業績向上につながるので、そういう意識を潜在的に持っている。
 核保有についても言及した人がいたが、「日本が核保有すれば、核不拡散条約は崩壊、世界中から批判される」と、あの中曽根・元総理も明言している。

 先の参院選で自民党が大敗したことで、安倍首相の憲法改正論がやや下火になったが、いつ吹き返してくるかもしれない。改正論の人たちは「自分の子どもや孫たちが戦場に送られることを一度でも思ったことがありますか」と、いいたい。戦争するのは自衛隊であって、自分たちと関係がないと思っているのではないか。先の戦争の教訓からそのことを学ばなければならない。

 フリーターの若者が「いまのままではこの格差地獄から抜けられない。戦争に役立つなら、いまの自分よりは評価される」という発言があった。それなら自衛隊に入って国連指導のもと、世界に貢献する道を選んだらどうだといいたい。

 憲法9条を守るべきという学者らは論理的で冷静に話していたことが、この番組を成功させていた。安倍首相の諮問委員会はおそらくこの逆の雰囲気であろう。

●8月14日(火)ネクストSP

 たまたまチャンネルをBS1に合わせたら、ネクストSPという番組で「世界に学ぶTVの底力」をやっていた。はじめて見たが、そのとき、確かボリビアのTV番組が紹介されていた。

 それは一般市民に言いたいこと、文句等を行政の責任者の前で自由にしゃべらすもので、市民は言いたいこと、みんなが言ってほしいことをマイクにぶつけていた。

 司会者はそれらについて行政の責任者に聞くというもの。これを見て日本のコメンテイターらは「うらやましい」と話した。日本では自由と言いながら、TVはお上や大企業の顔色を伺いながらやっているので、本当の情報が伝わらないからだという。お上を批判した評論家らをTVに登場できなくしている。ものすごい言論規制をしているようだ。ボリビアの番組制作者は「TVは市民の道具です」と話した。

 TV局の関係者は「視聴率があれば、スポンサーはいくらでもいる」と、番組の内容より、大衆受けする番組つくりに力を入れている。そして「ドタバタでもなんでも、観る人がいるのです。ようは日本人はTVバカである」とウソぶく。中にはいい番組もあるが、放映時間が深夜であったりする。TV亡国論が言われて久しいが、ますますひどくなる一方である。ここはNHKにがんばってもらうしかない。


●8月13日(月)ピースボートを考える

 暑い日が続く。
 ピースボートに関する本を府立中央図書館で検索、『第28回ピースボート 地球一周航海記』、『ピースボート地球一周105日間の船旅』(第48回クルーズの記録)、『ピースボートの旅』、『ピースボートで地球一周』の4冊を借りて読んだ。

 いずれも航海記録である。ピースボートには多様な人たちが乗り込んでいることがわかった。とくに夫婦の乗船客にはユニークなペアーが多く、興味がわいた。それと、この船旅は世界異一周でなく、「地球」一周という言い方をしているところに、意味があることを知った。

 地球という惑星に我々は同居しているという認識である。ピースボートはそれを改めて教えてくれるような気がする。

 この本の中で『ピースボートで地球一周』の著者、杉野奈保子さんの達意の文章、考え方に共鳴を覚えた。彼女は高校の教師をしながら翻訳(一流の出版社から)本を出している。語学は堪能だろうと推測する。
 彼女は車椅子で人工呼吸器を使う夫(学者)を連れての旅を実行した。そのことも詳細に書かれている。彼女がアメリカに寄港した折にアメリカについて以下のように書いていることに改めて敬意を表したい気持ちとなった。

 −イラク問題をはじめとする中東問題はアメリカが火付け役である。もっとはっきり言うと大統領選挙に勝たんがための政略である。
 アメリカのどの層が選挙に熱心であるか、力を持っているか、アメリカ国民にはどんな言葉がもっとも受け入れられるか、巨万の富をさらに肥大化させようとする層、自分達は善の塊で、正義の原点であると考えている層、意外にもアメリカは宗教という点では古い体質を持っている。キリスト教をはじめさまざまな宗教の硬い殻の中に入って、選ばれた民という認識は、自由を尊ぶ精神と背中合わせにくっついている。

 広い巨大なアメリカの大地には信じられないほど様々な人間がいる。その殆どが「善良なアメリカ人」である。ただ、それが強い、誰よりも豊かなアメリカである場合にはそうであるが、様々な人種のるつぼとなったアメリカは真の意味での結束がない。(中略)

 ただアメリカの良い点は、民主主義のルールがいまだに守られているということである。裏には恐らく相当な報道規制があると思われるが、それでも良心的な報道がいまだに消えずにいることであるー

●8月12日(日)62年間の時空を経て

 世の中、こんなことがあるのだーと、自分でも驚いています。
 
 8月8日の日記に「戦争と新聞」の反響のテーマで書きましたが、その後、86歳の女性から電話が入りました。86歳ですから大変な高齢ですので、どうしたらお目にかかれるのか戸惑いました。すると、月に1回は梅田に出ておられることが分かり、「おじゃまします」と、言われるのです。電話の声は60歳代より若く、しっかりした口調でしたので、拙宅に午後1時に来ていただくことになり、最寄の駅でお迎えすることにしました。

 夏の炎天下、本当に大丈夫だろうか。一人暮らしと聞いていましたので心配でした。 
 電車を乗り継いで1時間30分はゆうにかかりますが、約束の1時6分着の普通で降りて来られました。初めてお会いするので、B5のコピー用紙に「Tさま}と書いてお待ちしていましたが、改札口で目が合った瞬間、「岡田さんですか?」と、相手から声をかけられました。86歳とはとても思えないすてきな夏のブラウスを着て、しっかりした足取りで歩かれました。

 拙宅で2時間ばかりお話を聞きました。
 Tさんは昭和20年3月13日の大阪大空襲で、母親の故郷の大塩(現姫路市)に疎開されました。母と娘二人です。息子(Tさんの兄弟)2人は陸士と予科に入って満州に行く前に敗戦を迎えたそうです。Tさんが大塩に行った時は24歳でしたが、未婚だったため徴用されるかもしれないというので、知り合いの紹介で三井造船(武智 鉄二の父が経営していた武智 造船だと聞きましたが、確認はできていません)の事務職として就職されました。

 8月15日の終戦とともに、三井造船はなくなり、Tさんも職を失ったのです。そのころ、造船時代に守衛室にいた久助?氏(岡田誠三著の『自分人間』ー岡田播陽伝=中央公論社発行に出てくる播磨屋呉服店の番頭)が、Tさんに「いい人を世話します」と目をかけてくれていました。その年の12月まで造船所に残って残務整理を頼まれたそうです。そのあと職を失って困っているTさんに「本の整理で手伝ってほしいが、どうですか」と、久助さんから声をかけられたのです。

 なにもわからないまま、承諾したら、「びっくりしたら、あきませんよ」と言われた。それが祖父・岡田播陽の家だったのです。大塩の町で時々、見かけたことはあったそうです。
 「汚い綿入れを二枚ほどはおって、二本の杖をつきながら女のように長い髪をたらして歩いておられるのをお宮さんの前で見て、おかしな人やと思っていました。近所の子どもらもバカにしていました」

 だから訪れた家から播陽が出てきたときは、驚いたそうです。実はTさんの住まい(母親の里は隣街の中所、播陽の家は東所だった)は、播陽の家とは少し離れていましたが、その年の6月、中国から復員してきた夫(故人)と見合い、その実家が播陽の家と道を挟んだところにあったので、本の整理で播陽宅に行っていたころ、夫の実家の前を通っていたとそうです。

 播陽宅で本人には毎日、会ったそうですが、妻の玉の話相手になったことがほとんどだったようです。「いまでも覚えていますが、播陽さんのお宅には、ものすごい蔵書がありまして、その中にはエンサイクロペディア(百科辞典)など、進駐軍に見つかったら罰せられると、将来、播陽文庫をつくってあげるというので、材木問屋の松浦という方、いまでもハッキリ覚えていますが、悪い人が来て本を買い取る交渉をしていました。」

 その間、岡田誠三の妻、茂子(小生の母親)とも一度、会った記憶があるが、よく思い出せないという。播陽を私淑していた書生がTさんに指図して膨大な本を整理したそうです。Tさんの実家も質屋だったそうですが、播陽の家も「マーマー屋」と呼んでいた質屋だったのです。播陽の母親が強盗殺人で殺害されたとことも周辺の人は知っていたそうです。Tさんもえらいところへ来たと思ったでしょうが、播陽夫妻が「おじょうさん、おじょうさん」と、親切してくれたとたと言います。

 「どういう風に整理したか覚えていませんが、『最後のマッチ』(播陽の著書)はたくさんあったことと、大塩平八郎に関する本が多かったことは記憶にあります」

 「給料はきっちりいただいておりました。そのころは、甘いお菓子など口にできませんでしたが、小豆の入った回転焼きを買ってきてほしいと頼まれたことがあります。優雅な生活をされていた印象です。あるとき、旧弊(すべて新札に交換され、500円以上は強制的に預金させられた)を闇市で交換してきてほしいと依頼されました。本来なら、新札しかないはずですが、闇市で交換してくれまして、その分はいくらでも使えたのです。」

 4月に播陽が死去、Tさんは6月に見合い、7月に結婚して、播陽宅を去りました。「何もありませんが言われ、立派なボテ(箱)3個と柳行李をもらいました」と、その時のことを覚えておられました。「新聞に岡田播陽さんの死亡記事が出て、はじめて偉い方だということを知ったのです」と、回想されました。

 その後、Tさんの夫は故郷・大塩を愛し、岡田誠三の著書『自分人間』が出たとき、すぐに手にい入れ、以来、Tさんは岡田播陽、岡田誠三のことを知り、誠三死去の新聞記事を見て茂子に葉書を送っていました。茂子は夫の遺作『小説 法隆寺』を自費出版して知り合いに配っていました。その1冊がTさんにも送られていたので、住所を知っておられたのです。

 そして播陽宅で本の整理をして62年後に、孫の小生と会った次第です。「娘が本人も生まれた故郷・大塩を見たいというので、クルマで行きましたが、播陽邸も私の夫の自宅も駐車場になって、往時の面影はなにもありませんでした」と、Tさんは話されました。

 帰りはクルマで香里園の自宅まで送りました。不思議なご縁を感じ、感動した一日でした。

●8月11日(土)生活保護行政のドキュメントTV番組

 いつも知らせてくれるドキュメントTVのディレクターから次回番組放送予定が送られてきました。これを観て一献傾けながら彼と語り合うのを楽しみにしています。ぜひ、ご覧になってご意見、ご感想をお寄せください。
 
 「テーマは、生活保護行政です。格差の拡大、弱者切捨ての動きが強まる中、生活保護の問題点を浮き彫りにした番組です。

 大阪で起きたある事件を独自取材したパートもあり、是非、ご覧頂き、ご批評をいただければ、と存じます。
 放送は、8月19日(日)24時30〜の一時間です。いつもながら、視聴しにくい時間ではございますが、
 今回は、さらに世界バレーが延長された場合、最大30分まで番組スタートが遅れる恐れもあります。

 見てください、とお願いするのも申し訳のない時間ですが、録画でもしていただきご覧いただければ、幸いです。」

●8月10日(金)写真三昧

 夫婦で写真三昧の日々を送っている。毎朝、生駒山へ散策する時は、必ず一眼レフとデジカメを持参、シャッターチャンスを狙う。いくつか必ず、撮影するスポット、対象物がある。景色の場合、どうしても雲、青空、朝日の光と影、澄んだ空気、そして「オヤッー」と思う何かが揃わないと、作品はできない。

 10数回、試みて、なんとかコンテストに出してみようかというものが出来上がる。最近は夕暮れの太陽と100万ドルの夜景(大阪平野)に凝っていて、撮影場所を見つけた。山の裾の方では、障害物が多く、ビルの屋上に上らないかぎり撮れない。一般には、マンションや公共の建物の屋上には入れない。

 そこで夜間に登山してスポットを決めたが、夜の山は人がいないので不気味である。夕日が沈む1時間前の明るいうちに登って、そこで夕日が沈むのを待った。すばらしい光景であったが、帰り道は真っ暗である。生駒のような低山でも不気味である。写真もはまると、リスクが高まる。


●8月9日(木)カノコユリ

 今年も見事なカノコユリが咲きました。毎年、花シリーズの年賀状を作っていますが、今年の年賀状にカノコユリを採用しました。

 鹿の子ユリと書きますように、鹿の斑点に似ているところから、こう名づけられたのです。このユリはシーボールトが日本に来て感動したもので、彼はそれをヨーロッパに持ち帰り、カサブランカやアカプルコに改良したのです。

 シーボールトが感動しただけの花ですね。


【庭に咲いたカノコユリ】

●8月8日(水)新聞の反響

 今年は先の戦争についてメディアを中心に盛り上がっているように思います。NHKのBSもシリーズで放映しています。戦争の映像記録を収めたDVDを大々的に発売するなど、今一度、戦争について考えようという意思が伝わってきます。

 先日、「新聞と戦争」(朝日新聞)に掲載されました記事(岡田誠三)を読んだ方からいろいろ感想をいただきました。中にはかつて大企業の副社長をされ今は悠々自適のT氏は3回の記事を切り抜いてわざわざ届けてくださいました。また、親しくお付き合いしている中堅企業のY社長は、会って話を聞きたいと申し入れがありました。
 とくに感激しましたのは、香里園にお住まいのTさん(女性)から「終戦直後、大塩町(いまの姫路市)の播陽先生(私の祖父)のお宅で膨大な書物と明治時代からの新聞の整理を手伝わせていただきました。奥様(播陽の妻、玉=京都・五条の陶芸家、初代・清風与平家の出))はやわらかな京都弁でいろいろお話を聞かせていただきました」という内容のお葉書をいただいたことです。

 私は、播陽についてまったく記憶にありませんので、ぜひお会いしてお話をお聞きしたいと願っています。次に友人のTVディレクターO氏(ドキュメンタリー番組を制作)から次のようなメールをいただきました。
 「どのような位置づけで岡田さんの父上を紹介しているかは定かではありませんが、戦前戦後を新聞記者として生きぬいた男の苦悩が強く印象付けられる内容でした。

 締めくくりの部分では、ドラマチックな展開もあり、読み応えのあるものでした。欲を言えば、もっと長い連載にしたほうが深みが増したように思いますが・・・」

※記事の長さにつきましては、取材記者がこの数十倍以上の情報を持っておられますが、「3回で申し訳ない」と、お詫びされていました。一記者、しかも故人についてこれだけの紙面(全国企画)を割いていただいたことに感謝しています。後日、お会いしてお礼を申し上げたいと思っています。いい供養ができました。

●8月7日(火)なら燈火会

 初めて、奈良の燈火会へに出かけた。8月5日〜14日まで毎日、やっている。春日野と浮見堂が人気スポットのようだ。7時過ぎ、ボランティアの人たちの手でロウソクに点火。

 東大寺をバックにした春日野は色とりどりで美しい。若草山につくられた青竜をかたどったイルミネーションも見える。多くのカメラマンが三脚を立て、シャッターチャンスを狙う。

 燈火会の撮影は思いのほか難しい。見る分にはすばらしいと思った。春日野から浮見堂へ移った。溝にはまる危険を感じた。お年寄りには無理ではないか。よく事故が起こらないものだ。

 浮見堂では中国の曲(二胡)が流され、池には提灯をつけたボートに恋人たちが乗って、楽しんでいた。こちらは派手さはないが、奈良の夜にはいい感じであった。

 時計をみると、9時である。夕食の場所に気に入っている和風フランス料理の店「月吠」へ行き、燈火会メニューを支配人からすすめられた。久しぶりに料理らしいものを食した。

●8月6日(月)スイカができた

 庭の小さな畑にアオトウ、オクラ、青シソが育っている。その中にスイカの苗を一株を植えておいた。ほとんど手入れすることなく放っておいた。すると、いつもソフトボール程度しか大きくならないのに、今年は写真のようにサッカーボールの大きさまでになった。しかも2個である。

 夏の果物はスイカが王様だと思う。水分をたっぷり含んだ赤い果肉のスイカをかぶりついて種を出しながら、食べる豪快さはほかの果物にはない。子どもの頃、スイカ割りに興じたことや、他所の畑のスイカにストローを突っ込んで甘い汁を吸ったことが思い出される。

 2個のうち、1個を食べた。小さいながらもジューシーで赤い果肉は、スーパーで買うものと変わらない。この大きさだと1個600円前後であろうが、無農薬で自然に育った原始スイカであることがうれしい。生育の途中で新聞紙で覆い、スイカの下が腐らないようにクッション材を置いたこともよかった。

 残りの1個は息子夫婦が盆で帰ってくるまでもつかどうか、おそらくもたないだろう。せめて写真だけでも見せてやりたい。

【鉄瓶と比べても大きいスイカ=8月5日撮影】

●8月5日(日)ニイニイゼミを見た

 先月、セミの羽化について書きましたが、大阪はクマゼミがとくに多いそうです。クマゼミは外来種だとも聞きましたが、事実は確認できていません。もしそうだとしたら、うなずけるところはあります。

 ある知人は「羽化できず、殻のなかで死んでいるセミが庭にたくさんいた」と言います。どういうことか分かりません。8月4日付の朝日新聞朝刊に「クマゼミが光ファイバーケーブルに産卵して断線被害が出ている」という記事がありました。産卵程度で断線するとは信じがたいですが、事実だそうです。

 先日、生駒山の中腹に登ったときに、はじめてニイニイゼミを見ました。クマゼミに追いやられて上へ上がったのだろう。ミンミンゼミの姿は見ませんが、鳴き声はよく聞こえました。ここにはクマゼミがいなかったです。


【色が桜の木に似て、分かりにくいニイニイゼミ】

●8月4日(土)池島緑地

 東大阪市は旧布施市、河内市、枚岡市が合併してできた市である。新しい東大阪市はとくに特色があるとも思えないが、この街に住んでいていまだに知らないところが多い。

 その一つが恩知川池島緑地である。これは恩知川の治水事業の一環で工事を進めているところである。この一帯は湿地帯で、野鳥が生息している数少ない場所である。

 ここにある池島・福万寺カワセミ楽会という民間団体が大阪府と協力して野鳥保護に努めている。カワセミが見られる場所だという。

 この日、立ち入り禁止の緑地では、模型飛行機、ヘリコプターをリモコンを操って飛ばしている数人のシニア連中がいた。
 「1機50万円はするでしょう。あそこまで飛ばせるようになるまで、翼やプロペラが折れたりするので、50万円ぐらい修理費用がいります。人に当たると死亡事故になります。人が通ると、飛ばさないです」と、ヘリコプターを飛ばして帰り支度している人が説明してくれた。

 沼の周囲を歩いたが、サギが美しい飛行を見せていた。ここも写真にはいい場所だと思う。


●8月3日(金)ナナフシ

 毎朝、生駒山に登っていると、いろいろなものに出会います。この日も、不思議な虫を見つけました。それは小枝にそっくりな虫です。これも敵から身を守るためであろうが、自然界は興味が尽きない。

 HP「ウィキペディア」で調べると、ナナフシ(七節、竹節虫)とあった。は節足動物門昆虫網ナナフシ目に属する昆虫の総称。草食性の昆虫で、木の枝に擬態した姿が特徴的であるーという。。

 漢字では「七節」と書かれるが体節7つだからではなく、「7=たくさん」ということから「たくさんの節を持つ」昆虫ということで「ナナフシ」と命名された。ちなみに中国語では「竹節蟲」であるから七節と書いても通じないが、日本にも「竹節虫」と言う表記は存在するそうだ。

【手ぬぐいを這うナナフシ】

●8月2日(木)戦争とはかくも長きにわたる

 「旧日本兵 野ざらし63年」(朝日新聞7月21日付朝刊)が社会面トップにでた。これはNPO法人・太平洋戦史館(岩手県)が主催した民間慰霊団で現地調査の結果、発見したもの。

 実はこの慰霊団に私がニューギニアに出かけるきっかけをつくってくれたY氏も参加している。青森・弘前出身のY氏の兄さんが、敗戦間際、ニューギニア島北西のビアク島(インドネシア)で戦死した。その後、ずっと遺骨収集に出かける機会を待っていたが、ついに70歳になって実現した。

 長年、胸に秘めていたことをやり遂げたことで感慨深いものがあると思う。まだまだ先の戦争は終わっていないのである。戦争とはかくも長いもので、大変な犠牲を国民に強いていることを知るべきだ。

●8月1日(水)新聞と戦争B

 3日間、「新聞と戦争」に岡田誠三が取り上げられ、友人から電話やメールをいただきました。思わぬ知人からも「親父さんの記事、読んだぞ」という電話が入りました。ニューギニアへ散骨の旅に出ると天下に公表してしまいましたので、病気をしないように、なんとしても実現しなければならないと改めて決意を固めています。

 それにしても政局が面白くなってきました。企業経営陣の多くは非常に残念がっています。経団連は安倍首相の続投支持を早々と表明しています。企業の不祥事が頻発している時に、本来、中立であるべき経済界が続投支持を打ち出したことは、先の選挙が民意(とくに地方の建設、農家からそっぽを向かれたようです)であることの認識をしていないことになります。

 果たしてこれからの日本、どうなっていきますか当分、政局から目が離せません。

【2007年8月1日 朝日新聞夕刊】
 

 

【目次】
8月1日(水)新聞と戦争B
8月2日(木)戦争とはかくも長きにわたる
8月3日(金)ナナフシ
8月4日(土)池島緑地
8月5日(日)ニイニイゼミを見た
8月6日(月)スイカができた
8月7日(火)なら燈火会
8月8日(水)新聞の反響
8月9日(木)カノコユリ
8月10日(金)写真三昧
8月11日(土)生活保護行政のドキュメントTV番組
8月12日(日)62年間の時空を経て
8月13日(月)ピースボートを考える
8月14日(火)ネクストSP
8月15日(水)憲法9条
8月16日(木)昭和の歴史
8月17日(金)ニューギニア玉砕の島
8月18日(土)デジカメかリバーサルか
8月19日(日)研展
8月20日(月)展望台が無残
8月21日(火)老後の貧困
8月22日(水)ウソだろう
8月23日(木)猛暑と商売
8月24日(金)世の中なめたらあかん
8月25日(土)日本一の夜景
8月26日(日)河内のおはら風の盆
8月27日(月)安倍第二次内閣
8月28日(火)夜中の怪音
8月29日(水)70歳のロマン、日本一周の旅
8月30日〜31日休刊、9月日記から再開